トイレ掃除のおばさんから見習う
毎朝学校へ行くたびに、トイレがとても綺麗なことを知っているだろうか。
本校には生徒によるトイレ掃除がない。従って誰かが、毎日私たちのために掃除をしてくれている。このことにちゃんと気が付いてほしい。
朝7時前、まれに早めの出勤をすると、トイレ掃除一式を抱えて汗をかいているおばさんがいる。まだ校内に人影もない時間から丁寧に掃除を始めている。きっと、生徒たちが登校する前に、一日気持ちよく使えるようにと、心を込めて仕事をされているのだろう。その姿には本当に頭が下がる思いです。
自称3Kと名付けたトイレ掃除。「汚い、臭い、毛が・・ 」
振り返ると、高校生の時や大学の合宿所生活の頃、当番でいやいやトイレ掃除をしたことを記憶している。恥ずかしながら誰が見ても綺麗にと、いうところまでは到底及ばない。そんな意識すら薄く、早く終わらせて部活へ行くことしか考えてなかったはず。情けない、適当そのものだ。大人になってからする反省とはこういうこと。(恥)
朝日新聞記事(2017.3.10)で、中村俊輔選手は高校時代の一番の思い出を聞かれると、インターハイ3位、全国選手権準優勝という輝かしい結果や、年代別代表経験ではなく、「自主練ですね」と答えた。一部の人たちにしか成し遂げられない大きな成果ではなく、誰にでもできることが、一番の思い出に残っていると言う。リンカーンに言わせれば「自分の自分による自分のための自主練」だろうか。
自主練は、基本的に誰も見ていない状況下で、自分の為に行うものである。自主的な練習なのだから、誰かがそれを評価するものではない。誰も見ていないからこそ、自主練には高いモチベーションの維持、限られた時間で最大集中力の発揮、目標達成までの計画性がものをいう。なにより自分の責任において自主的に行動することが求められる。このように一流選手が残した結果ではなく、取り組む過程を見習うことは我々にでもできる。
新型コロナの影響は、G.W明けには収まらず、おそらく休校もしばらく続くと思われる。学校として全体練習は当分の間できないが、一人ひとりには多くの時間が与えられているわけだ。このピンチをチャンスに変えるため、求められるキーワードは「自主」である。自主とは、他人の保護や干渉を受けず、自分の判断で行動すること。
つまり「自主的に自主勉をして、少し休んだら自主練に没頭。自主寝は生活が乱れない程度に、たまには自主遊もいいだろう。あと休校中、必須科目の自蹴は完璧に仕上げること」
またふざけた言い回しをしていると外野がうるさくなるのでほどほどに。
重要なことは「自主」を心がけた日常生活を過ごすこと。計画的にうまく進まなくても問題は無い。スマホゲームと昼寝の繰り返しで何もしないことが問題だ。自主が芽生え、まず計画を始めることで、現在の自分の力を知ることができ、繰り返しトライするなかで、自分の力の伸ばし方を頭と体が覚えるようになっていく。間違いなく、そこからの成長のスピードは計り知れない。この与えられた時間を大きなチャンスと捉えて、ぜひものにしてほしい。
掃除のおばさんたちの、誰が見ていても見ていなくても、誰にも褒められなくても、見返りを求めず丁寧な仕事をしている姿を思い出しながら書いている。それが仕事とはいえ、自主練のような孤独さと沈黙が想像できる。トイレで生徒たちがふざけあって、床を水浸しにしたり、トイレットペーパーが散乱していると、とても残念で悲しい気持ちになるのは、その掃除のおばさんの姿を知っているから。
私が言うのは差し出がましいが、この仕事に対する姿勢が、人への心遣いにつながり、なにより自分自身の成長の源なのだろう。
実直にいつも校内を綺麗にしてくださって感謝に堪えません。
おまけに創英高校のなかで、一番生き生きとした挨拶を返してくださる方も、彼女たちである。
※ 自主練は大切だが、いまは新型コロナウイルス感染症が拡大しているため、人との接触は絶対に避けること。これは約束だぞ。