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ありがたみとは

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新型コロナ感染症拡大の勢いが止まらない。 自粛期間がこれだけ続くと、サッカーが存在しない、いまの生活に慣れてしまうのではないか。自分に充実感が無いために、そんな余計な心配までし始めた。 人類は歴史のなかで、ある時代からはひたすら物質的な豊かさを追求してきた。現代の社会はそのような人類が重ねてきた、経済最優先の歴史の上に成り立っている。いま、社会はモノで溢れていて、一見豊かには映る。しかし、それを実現する過程で、人類は多くのものを失い、多大な犠牲を払ってきた。そのなかで最も大きな喪失はなにか。それは、人が集まりつながりを太くするという大切さだ。サッカーもそうだが、すべては人間の集団があってのことだ。これまでに、部員が集まりサッカーをできることに、どれだけの「ありがたみ」を、感じてきただろう。 そもそも人間は、簡単に手に入るものには「ありがたみ」を感じないもの。逆に、苦労をして手に入れたもの、時間をかけて成し遂げたこと、人からいただいた親切などには「ありがたみ」を感じるもの。 例えば、こどもの頃から持っているサッカーボールや、コツコツお小遣いをためて買ったスパイクは特別な価値を感じるし、様々な出会いのなかでお世話になった方には心から感謝をする。これが「ありがたみ」である。 そうだ、毎晩戦略を立てて、人生最大の勇気を振り絞り、やっと聞き出したあの子のLINE IDは他人には絶対教えられない秘密の宝物。これもだ。 休校処置が続くこの状況から自分へ問いただす。サッカーに関わろうと思えば、何苦労なくできてしまう環境は、大切な「ありがたみ」を失わせてしまった。勝ち負けに悩み、目の前の勝負に追われるだけではなく、まず、これまで何不自由なくサッカーができたことを、いまの有り余る時間のなかで振り返ることをしてみる。 チームメイトがいるから、つらくて苦しいときに一緒に乗り越えられ、勝利の歓喜で心がつながれ、嬉しさや楽しさを感じることができたはず。創英で活動できるのも、中学時代まで関わってくださったサッカー指導者たちが手助けをしてくれたから。健康な体が維持できるのも、親が見えないところで食事管理や洗濯ををして、また経済面でもおまえたちのサッカー生活を支えてくれている。思えば思うほどに「ありがたみ」につきることはない。わかってもらえるだろうか。いままで続けてこれ

トイレ掃除のおばさんから見習う

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毎朝学校へ行くたびに、トイレがとても綺麗なことを知っているだろうか。 本校には生徒によるトイレ掃除がない。従って誰かが、毎日私たちのために掃除をしてくれている。このことにちゃんと気が付いてほしい。 朝7時前、まれに早めの出勤をすると、トイレ掃除一式を抱えて汗をかいているおばさんがいる。まだ校内に人影もない時間から丁寧に掃除を始めている。きっと、生徒たちが登校する前に、一日気持ちよく使えるようにと、心を込めて仕事をされているのだろう。その姿には本当に頭が下がる思いです。 自称3Kと名付けたトイレ掃除。「汚い、臭い、毛が・・ 」 振り返ると、高校生の時や大学の合宿所生活の頃、当番でいやいやトイレ掃除をしたことを記憶している。恥ずかしながら誰が見ても綺麗にと、いうところまでは到底及ばない。そんな意識すら薄く、早く終わらせて部活へ行くことしか考えてなかったはず。情けない、適当そのものだ。大人になってからする反省とはこういうこと。(恥) 朝日新聞記事(2017.3.10)で、中村俊輔選手は高校時代の一番の思い出を聞かれると、インターハイ3位、全国選手権準優勝という輝かしい結果や、年代別代表経験ではなく、「自主練ですね」と答えた。一部の人たちにしか成し遂げられない大きな成果ではなく、誰にでもできることが、一番の思い出に残っていると言う。リンカーンに言わせれば「自分の自分による自分のための自主練」だろうか。 自主練は、基本的に誰も見ていない状況下で、自分の為に行うものである。自主的な練習なのだから、誰かがそれを評価するものではない。誰も見ていないからこそ、自主練には高いモチベーションの維持、限られた時間で最大集中力の発揮、目標達成までの計画性がものをいう。なにより自分の責任において自主的に行動することが求められる。このように一流選手が残した結果ではなく、取り組む過程を見習うことは我々にでもできる。 新型コロナの影響は、G.W明けには収まらず、おそらく休校もしばらく続くと思われる。学校として全体練習は当分の間できないが、一人ひとりには多くの時間が与えられているわけだ。このピンチをチャンスに変えるため、求められるキーワードは「自主」である。自主とは、他人の保護や干渉を受けず、自分の判断で行動すること。 つまり「自主的に