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歴史は繰り返す

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新型コロナ感染の危機管理が、世の中の話題の中心になっている。情勢を見れば当然のことではあるが、社会の変化も敏感にとらえてみたい。 政府は海外渡航自粛勧告を出し、国内でも不要不急な外出の自粛を要請。緊急事態宣言間近の我が日本。 我々の休校・部活動自粛生活も、早1カ月が経過しようとしている。通常よりは十分に自由な時間があるのに、なぜか精神的に順調ではなく、長期間制限を受けることで、活力がない気がする。コロナ疲れとでも言うのかな。 自粛、自粛で人の動きを制限すれば、経済へのダメージは計り知れない。2008年のリーマンショック以来の危機を招き、コロナ倒産も出始めている。過去に例を見ない難題と、わきまえてはいるが、経済を安定させながら生命・健康を守る対策は他にないものなのか。特に今回の休校処置の対策については、手を付けやすいところだけ実施した感が否めない。 新型コロナとの戦いに、世界は国境封鎖を進め出入国を禁じ、自国民の保護に躍起になっている。アメリカは新型コロナを中国(武漢)ウイルスと呼び、中国はアメリカが細菌を持ち込んだと言う始末。フランスの新聞社は記事の見出しに「黄色人種警報」と付け、イタリアの国立音楽院は東洋人へのレッスンを中止にした。こんな風潮では、世界中でよりヘイトが増長され社会が分断されていく。 世界史を振り返ることで、現在と似たような状況を見ることができる。 いまから約100年前の第一次世界大戦後から世界恐慌後に至る、いわゆる戦間期である。 第一次世界大戦後、戦勝国の中心イギリス・フランスは敗戦国ドイツを徹底的に叩きのめし、再起不能となるほどの制裁を科した。有名なヴェルサイユ条約である。それから10年後、世界経済の中心地アメリカで歴史的な大不況。影響は世界に広がり、経済システムが破綻し、世界恐慌と呼ばれた。 このとき各国は、自国ファーストで他国との関係を遮断して、排他的かつ閉鎖的な経済体制を構築。独自の経済圏のみでブロックを形成し、この危機を乗り越えようとした(ブロック経済)。この影響をモロに受けたのがドイツ。敗戦後、天文学的な賠償金を課せられたが、少しずつ経済回復の兆しが見え始めたところへ、更なる世界大不況の追加パンチ。3人に1人が失業した。惨憺たるドイツに、当初英雄として現れたのが、後に独裁者となるヒトラーである。彼もまた過剰な自国

すごい人

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家族の誰よりも一日の朝は早い。 眠い目をこすりながらベッドからでて、準備を始める。 ゆっくりと朝食を取る時間はほとんど無く、機械的に食べ物を流し込み玄関を出る。 かれこれ数十年、満員電車にも慣れたもの。通勤ラッシュのなか、 小さく折りたたんだ新聞のニュースを読むか、現代ではスマホでチェック。たまには混雑を利用して、お互いで寄りかかり、支え合い、立ち寝で過ごす。 降車駅からは人の流れに遅れまいと、高速道路の合流のようにスピードを上げ足早に職場へ。 毎日、日中は同じようなことの繰り返しになるが、それでも家族のためにと気持ちを奮い立たせ、目の前の作業をこなしていく。 電車や車で、いろいろなお客様のもとへ元気よく走り回り、表情を作り、頭を下げる。夏場は汗で、肌着もワイシャツまでもびっしょりだ。 昼食は必ずお昼に、とは決まっていない。そんな時間さえとれないときもけっして不思議ではない。 ときには、閉塞的な場所で上司に叱責され、それでもグッと歯を食いしばり「やります」と答え、自責の念に苛まれる。 組織の掟。時々思い出す、入社して最初に教わったことは「ホウレンソウ」 パソコンと何時間もにらめっこをするときがある。ゲームをやっているわけではない。目はかすみ、肩こりを引き起こす。 あり得ないクレームに対しても、相手の感情に寄り添い解決方法を探る。 無理を承知でとお願いされ、仕事を受けたが納期に間に合うか不安な日々。 あっという間に一日が過ぎ、また満員電車に揺られ勤務先から家族の元へ。そう、たまに電車で寝過ごすようだ。 帰宅後は玄関で、まず子どもたちが帰宅しているかを、靴を見て確認し、いるならそれで安心する。 まだなら、顔を見るためにビールを飲んだり、ゆっくり食事をとったり、また入浴をしたりで時間を費やし、何気なく待ち続けるものだ。 「ただいまー」の一言を聞くだけで、心が癒され、一日の疲れが吹っ飛ぶんだぜ。 これで明日もまた頑張れる。 いつもは、子どもたちの様子をみながら言葉をかけるが、今日はなにも言わずに寝よう。 以上、すごい人の紹介でした。 いまの自分じゃまだ足元にも及ばない。

100日後に死ぬワニ

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漫画なんてものはここ数十年ほど見もしないが、ネットを適当に流し見をしていると、 「100日後に死ぬワニ 今日で最後・・」 くだらん4コマ漫画の、なんとも品のないタイトルだなと。 一応クリック。 そして予想通り、たいして可愛くもないワニの物語だった。 のはずが、休校ボケの身体にはジワリジワリと沁みこむような、なにかが届いてしまった。 死を題材にすることへの賛否もさることながら、多くの読者が平凡なワニ君の日常を親しみ、時間がたつにつれ、いつしか身近な存在になっていき、そして最後の死を慎んだことと思う。 すべてのことには必ず「終わり」があるはずなのに、昨今その「終わり」を実感できなく過ごす日々が続く。そんな時流はとても退屈に思う。いま死を考えることで、「いまをどう生きるか」、「いま、なにをするべきか」を問い、何気なく過ぎる「いま」に感謝をし、自分の生活ぶりを見直す機会にしたいと思う。 自分とは次元が違う一流たちは、常に「いま」と「終わり」を捉えて生きている。 Appleの創業者スティーブン・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式スピーチで 「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか。違う、という答えが何日も続くようなら、生き方を見直せ」と説いた。 2019年にノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏は、受賞コメントで「未来を読みながら研究を進めていく。間違いなくゴールがあると確信が持てれば、少々の苦労があっても必ずやり遂げられる」と答えた。 中村俊輔は、「最終的な目標があるからこそ逆算の計算が成り立ち、今日(いま)すべきことが明確になる」と言い、高校生のときに27歳で代表の10番をつけるとサッカーノートに書いた。すべてのJリーガーたちも、目標は「日本代表に選出されW杯へ出場したい」と願う。しかし目標達成期限(年齢)を定かに取り組んでいる選手はどれだけいるだろうか。ちなみに俊輔はその目標を4年も早く現実のものとする。その後、“歴代最長の8年間”エースナンバーを背負うことになる。 一流から学びたい。 それは、「いま」と「終わり」を常時セットで秘めておくことが必要だということ。「終わり」が見えない努力ほど継続していくことは困難である。さあ「いま」からでもいい。行動しろ。遅いということはない。 一流の成功者達

「今、できることをする」という真理

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人は高い目標を持てば持つほど、「何」を頑張っていいのかわからなくなる時がある。 そして、身の程をわきまえない努力をし始める。努力が自分の身の程にあっていないのだから、その努力の効果が出るはずがない。 今、君たちは「物心がついてから一番長い期間」 サッカーができていないのではないか。 サッカーから離れてしまっているのではないか。 そこで二流は口にする。 「コロナウィルスの影響で、禁止なんだからしょうがない。」 「俺のせいじゃない。」 と。 そんな中でも一流は 「グラウンドでなくてもできること」 「今の環境でもできること」 を自分で必死に考えて「今、できること」をやっている。 練習が解禁された初日の体のキレを見れば、 一流と二流はすぐにわかってしまう。フィジカル・体幹を基礎から鍛えなおしたり、体力面を強化したり、自分だけしかいないからこそ、個人練習だからこそ、 向上させられるものはたくさんあるはずだ。 この状況を、一流は自分のプラスに変え、 二流は怠情に時間を浪費する。 創英サッカー部は、一流の集団である。 そう信じ、皆とまた一緒に練習できる日を待っている。 もう一度言う。 創英サッカー部は、一流の集団である。私は、そう信じている。また、フィールドで会おう。