まわりと同じでいいのか?

突然ですが、乗船している豪華客船が沈み始めました。船長は外国人乗客に脱出の指示を出すことになります。

アメリカ人へ
「飛び込めばあなたは英雄です!」
イギリス人へ
「飛び込めばあなたは紳士です!」
ドイツ人へ
「飛び込むのがこの船の規則です!」
イタリア人へ
「飛び込んだら女性にもてますよ!」
日本人へ
「みんな飛び込んでますよ!」

まわりを見ながら、みんなと同じ行動を好む日本人を皮肉った面白い表現である。
よく言えば、まわりと協調しながら足並みをそろえて行動が出来る。悪く言えば、個性が無く言われるがままに行動する。外国人の目には、日本人は考えや意見が無く、イエスマンばかりと映るらしい。

人は、人と顔を合わせながら交流をしていて、知らずのうちに他者と比べ、自分の観念に間違えがないかを確認している。そして、人と関わることで、自分の道標を微修正しながら確立して生きていく。
特に若者は、みんなと同じゲームをして、似たような服を着て、身につけるものは流行にのる。注目の話題には常に敏感。テレビやネットが欠かせないのは、同一性を求めるには効果的な媒体であるから。女子高生のiPhone率は驚異の85%、その理由は「みんなiPhoneだから」だと。ドラマやお笑い、芸能ニュースなどは、暮らしのひとコマに乗り遅れないためのもの、に感じるのは私だけか。コーンフレークは笑いのネタではなく、朝食に食べるもの。最近、女子達がみんな同じような姿に見えるのは、私のおじさん化が悪化しているからではない。
進路に向けて明確な目的が無くても、みんなが大学へ行くから自分も行く。親までもこどもの実力はよそに、とりあえず進学と夢をみる。部活動では、モチベーションは低いけれど、みんなが同じ時間に練習するから、一応自分も参加する。SNSで、自ら発信することは特に無いけど、LINEで繋がれていないと不安になる。他人のどうでもよいツイートをなぜか気にしてしまう。いつもの口癖は「みんなが言っているから」「みんながやっているから」「みんなが持っているから」
このように、まわりと異なることを拒絶し、みんなと同じようなことをして、実は安心しているだけなのだ。
しかし、新型コロナの影響で、環境は大きく変化した。いまは、人と人とが直接関わらない状況下にある。だから、人の目を気にすることはないし、まわりに合わせる必要もない。休校状態とはいえ、考え方を変えれば、いまはたくさんのチャンスで溢れている環境ではないか。
ここをターニングポイントとしたい。
この事態をきっかけに、まわりから突き抜ける強さを持ちたい。それには、やり通す意思と覚悟で、自分を信じ抜くことが必要。まずは今日の頑張りを一日ずつ繰り返して計画的に続けていく。その蓄積が数ヶ月後の新しい自分を作り出す。しかし成果が出るまでには、長期にわたるのが当たり前なのだが、その前に多くの人は途中で止めてしまう。みんなと同じ場所の安全地帯で満足してるならそれでもよい。少しでもいまの位置から突き抜けたいという意思があるならば、行動を起こすことを選んだ人のみ前進できる。いまさら言うべきことではないとも思うが、この選択が、今後の日常が再開されたときに活躍できるか、後悔する時間を送るのかのターニングポイントとなる。
いつもの学校生活が中断されて2カ月。あの頃が懐かしく感じるほどに、閉塞的な日々が延長に延長を重ねて過ぎていく。例えどんな場合でも、とても大切にしていることは、いままでもこれからも変わらない。
それは「人と関わり合いながら生きる」こと。




何度もしつこいようだが、G.Wでは『3密』を避けること。もう一踏ん張り。
『3密』とは…
「密閉空間」 = 換気が十分にできない場所
「密集場所」 = 人がたくさん集まる場所
「密接場所」 = 手が届く距離での会話や発声

さらに私は、「密会場所」には十分気をつけるよう、『4密』でG.Wを過ごします。