中村俊輔選手


2019年、横浜FCJ2リーグを2位で終え、13年ぶりにJ1へ昇格を決めた。
昨年末に、細々とJ1昇格祝いを開催した時の中村選手の2020年シーズンへかける決意は、言葉で表すには足りないほど、情熱的なものだった。彼の言葉は、指導者のあり方を改めて振り返る機会となり、とても大きな刺激となった。

それからおよそ2ヶ月後、2020223J1リーグが開幕し、トップ下でスタメン出場を果たす。イニエスタとのレジェンド対決が注目され、勝利こそならなかったが1-1のドロー決着。昇格組としては楽天マネーのリッチな相手に上出来な結果であった。
2節へ向けて、さらにギアを上げて挑みたいところであったが、2/25Jリーグは新型コロナ感染症の影響で、すべての試合の開催延期を発表した。その後は5/9再開を目指していたが、延期を重ねて、次の第2節は中断から4か月程度待つことになる。
40歳を越えた身体に、この数ヵ月の空白期間は大きな壁として立ちはだかる。果たして打ち勝つことが出来るのだろうか。準備、練習、食事、休憩、睡眠などを数分単位で計算し、すべてをサッカーのためのルーティンとして、1日の時間割を365日、なにひとつ乱れること無く過ごす彼は、常に自分自身のグレードアップをしてきた。努力と規律で成り上がってきた彼だからこそ、過去なら全く問題は無いと思えるが、現在はアスリートとしてのピーク年齢を考えざるを得ない。

そして、満を持して迎えたJリーグ再開。案の定という言葉を使いたくはないが、結果は次の通り。

7/4 2
横浜FC 1-2 コンサドーレ札幌。
スタメンを外れ、後半45分に交代出場。出場時間はアディショナルタイムのみ。
7/8 3
横浜FC 3-1 柏レイソル。
控えメンバーで出場無し。

多くの人はこの状況では、今シーズンで引退の危機を感じるだろう。
15歳でユース昇格を逃し、もうあんな思いはしたくないと高校サッカーに身をおき、選手権準優勝、全国総体3位の結果を残し、3年後にはプロとして古巣へ入団する。プロ3年目には21歳で最年少JリーグMVP(年間優秀選手)を受賞した。
24歳の2002年ワールドカップでは、最後の最後でトルシエから代表落選を通告されたときには、「よい選手なら誰が監督でも選ばれる。自分はそういう選手ではなかった」と自分を見つめ直した。その後イタリアへ渡り、言葉も通じない若造日本人にはまったくパスが回ってこないなか、彼の言葉で言えば3年間「もがき続けた」と。レッジーナでは守備戦術を採用することが多く、本来のプレースタイルとは真逆のハードワークで激しい守備を毎試合実践し、もがきながらNEW俊輔を確立していった。2005年にはセルティックへ移籍し、28歳で2006年ワールドカップを迎える。初のワールドカップでは、グループ予選全3試合にフル出場したが、2敗1分でグループリーグ敗退。ジーコジャパンの絶対的な存在だった№10は、ブラジル戦終了後、ピッチ上で泣いた。2007年はセルティックでリーグ2連覇を達成する。スコットランド年間最優秀選手賞、年間ベストゴール賞などを受賞した。アジア人選手によるヨーロッパリーグでのMVP獲得は史上初となる。2009年にはリーガ・エスパニョーラへ挑戦をしたが、エスパニョールでは目立った成績は残せなかった。しかし、その経験で得た反骨心が日本代表で開花する。2010年ワールドカップアジア最終予選では、8試合中7試合でスタメン出場を果たし、2ゴールの活躍で本大会出場を決めた。しかし、32歳で迎えたワールドカップ本大会では現地入り後にスタメンを外れ、4試合でスタメン出場無し。1試合のみ25分間途中出場しただけである。種を撒いて水をやり収穫のときだけ違う人がきたようだ。最後のパラグアイ戦後のミックスゾーンでは「山あり谷ありのほうがおもしろいでしょ。終わったときに」と寂しそうに語り、帰国後には代表を引退する意思を表明した。一方でメディアは「ワールドカップに縁のない男」と報じた。
さすがに中村俊輔も、ここまでだろうというのが世論の見方であった。それでも彼の心は変わらない。誠実に取り組み11日サッカーと向き合う時間を積み上げる。そして2013年には見事復活劇を遂げる。自身初のリーグ年間2桁得点を記録。その年、35歳で2回目のJリーグMVP(年間優秀選手)を最年長で受賞する。そもそもJリーグMVP(年間優秀選手)2回受賞したものは彼以外には一人もおらず、しかもその2回は最年少記録(21)と最年長記録(35)というおまけ付きだ。2019年シーズンからはJ2へ舞台を移したことにより、再び世論は中村限界論が流れるが、自力で自チームを昇格させJ1の舞台に舞い戻ってきた。41歳の時である。
どんな逆境にでも立ち向かい、自分で自分の行く道を切り開いてきた。一流はいつも一流な訳ではなく、さまざまな困難を乗り越え続けてきているからこそ、一流で有り続けることができる。
間違いなく、こう言える日が来るだろう。
「案の定、俊輔は戻ってきたな」
私は、もう一度、中村俊輔選手がピッチで躍動する日を、はっきりと見据えている。






2019.12  内々で横浜FC.J1昇格祝勝会 







※2013年に中村俊輔選手が35歳で最年長MVP(年間優秀選手)を受賞したのち、2016年に中村憲剛選手が36歳でMVP最年長記録を更新した。